「真理の御霊」

最後の審判(次元上昇)を超えるために1999年からひふみともこさんに下ろされている神示をお伝えします

神から人へ◎最後の審判・神の心でこの世を見る事◎

 

 

神がこの世に創られし、この地球、自然、大地の恵、

太陽の恵、海山の産物、植物、動物、昆虫、

その他諸々の生物、そして万物の霊長たる人類、

こうした一切の創造物は、みな神のみ力、ご意思、

ご意図によりて創られ、生を与えられ、魂を与えられ、

そして、多くの能力、知力、体力、それぞれに

見合いし、全てのものを必要に応じ、程よく備わせ

られた。それゆえ、一つ一つの調和、意識せずとも、

自ずと生じている全体の協力、団結が、

各々は意識せずとも、自然に図られ、働くように

創られていた。なれば、人のみが、己を持ち、

己のみを大事にしようと望み、行動する。

この世にある生命の中で最も魂を汚した生き物なり。 

 

 

なれど、それにても、神は、人をお見捨てにならず、

数々の、啓示、現象、事象によりて、人に気づきを

与え、悟りを与えんと、骨折られた。

気づきを得る者は少なく、逆に神を恨み、憎みて、

神から離れてしまう者多かりし。

なれど、今ついに、み役を持たせた多くの魂を、

この世に順次送られ、人の改心、悔悟、改悛、

神への下座と、我(が)の浄め、

魂の昇華(しょうげ)を、人一人一人が、

これまで以上に、容易に進められる環境、条件を

整えられた。なれば、今の世の人は、これまでの

長い歴史の中でも、最も神に近付き易く、

神の光を受け入れやすい、ありがたい環境といえよう。

なぜなら、昔はまだ、これほどまでに、地球、自然、

環境、生命の体系、お互いの連鎖が今ほど狂って

おらず、神もそれを見守っておられた時代には、

人の中に、幾人かの魂を送り込み、その者に、

奇跡を起こさせ、光を示させ、声や文字を持ちて、

人に伝えれば、それでことはすみ、治まりおりし

ゆえに。

人は今、最も危険な時を、なれど、ありがたき時を、

迎んとしている。神の奇跡は、ご自分のご存在を

お示しになるだけでなく、人をして、

いやがうえにも心を入れ替えさせ、心に染まずとも、

魂を浄化させることとならん。

 

 


この時にあたりて、最後まで神を信じず、我を張り、

己に囚われしままなれば、それは永遠の魂の消滅と

なるのみ。積み来たりし、多くの罪、汚れ(けがれ)、

魂の曇り、濁り、それら全て、一度に浄化させよ。

遅れし者は今、この時にも、まだ間に合うべし。

最期に伝えられる神のご意思、ご意図、それは今、

初めて人に伝えられることではなく、何千年も前

から、人々に伝えられしことなり。宗教者はみな

知っておりし。いかなる宗教であろうと、

この世の終わりに神が現れ、この世を一度は

壊滅させ、そして残されし者を使いて、

この世を再び神の国に復活させるであろうことを。

宗教、流派、信条、信念、細かい違いはあろうとも、

皆、同じ内容を伝えしものなり。なれば人は、

宗教の違いによらず、全て同じことを知り、

目指し、己を磨くことを、魂を浄め、高めることを、

図らずも、行わせられしものなり。 

 

   
神のみ力、神のお仕組み、神のご意思、ご意図、

神経綸(けいりん)、これら全て、今の世にては、

人の意識、知識、概念、能力、常識、良識を

越えしものなり。

どのように学問を積みし者でも、神を知らぬ者は

不幸なり。逆に、なんら学なく、教養なく、知識、

学問、特技なく、文字を読むことすら出来ずとも、

神の偉大さ、崇高さを素直に感じ、信じらるるは

幸いなり。

なれど、学問も大事なり。教養も大事なり。

文字が読め、ことばが話せ、神の伝えんとすることを

素直に聞け、そのことを人に、文字・声・ことば

・書・光・音楽・絵画、その他のものを用いて、

人に伝えること可なる者はさらに幸いなり。

そなたの思う幸せとはいかなるものか。答えられしか。

我等の思う答えなるものは、今伝えしことなり。

  

 

人としての行が神の子としての行と直結し、心素直に、

目の前の学問、知識に曇らされることなく、

踊らされることなく、己に課されし行に取り組み、

最善を目指すことができること、そして、神の御心に

適うか否かのみが 心の基準であり、

心の働きが神と一体化し、己なく、我なく、人なく、

自分なく、あるのは神のご意思、ご意図のみであるか

のような、そうした心組みになれることなり。

さならば、人は、一切の束縛から放たれ、

自由無碍に、行い、楽しみ、無限の喜びに満たされ、

無限の光に照らされ、神への感謝、歓喜、感動に

満ち溢れん。 

 

 

人の幸せとは、現世のみに関わるものではなし。

永遠の時の流れで、各々の魂に応じて決まりゆく

ものなり。今、富に満たされ、金銭、物質に恵まれ、

何不自由なく贅(ぜい)を満喫しようとも、

あの世に戻らば、何も持ちて行けぬなり。あの世に

持ちて帰らるるものは魂ひとつなり。

汚れし魂残りし者は、あの世にて、その汚れを取る

ための、苦しく、辛く、永き行あり。汚れ、曇り、

濁りし魂の垢を取ることは、この世以上の苦しみ

なり。それゆえ、人はできる限り、この世で行を積み、

魂を磨き、浄め、高めねばばらなくなり。

人はこうして、この世の行を積むなれど、

苦しいだけが行にあらず。楽しく、嬉しく、喜びに

満ち、心豊かに行えるが本物なり。

苦痛、快楽、どちらも人間には大切な感覚なれど、

どちらも、魂に曇りを作らん。

どちらに囚われても、魂は曇り、汚れてゆかん。

望ましきは どちらも経験し、心を常に中庸に保ち、

安定を心がけ、自然に落ち着く境地にあること。

難しけれど、魂を鍛え、心を鍛え、己を強く律する

鍛錬を行い行かば、 自ずと到達せん。 


 


そなたが望む幸せは、そなたの思いがどれほど、

神の御心に適うものか否かで決まりゆかん。

神の御心に添い、神の御心に近づかんと努力する

ことで、そなたの魂が、 神の御心と調和し、

連動し始め、共振し始むれば、ことは一切が

うまく運びゆかん。

それまでは己の鍛錬(たんれん)を繰り返し、

魂を浄め高めてゆくことが第一なり。

この世の栄耀栄華(えいようえいが)、その空しさ、

儚さ(はかなさ)は、古来、人も語り続けしこと

なり。この世が全てではなく、あの世にても

魂は続き、幸せが、単に肉体のみに与えられ、

感じられるものでなきことを知らば、幸せなるものの

本質も自ずと悟られよう。

道遠く、険しく、困難に見えようとも、人間心を

捨ててかからば、そは決して遠く険しき道にあらず。

神の光に照らされて、我なく、欲なく、執着なく、

自由なままに、神と共にあることを感じ、信じ、

神と一体して歩むとき、神は、多くの恵み、仕組みを

授けられん。光照らし、光明世界を実現されん。 


 


神仕組み、神経綸、一人一人のためにありし。

そして、人全体、地球全体、宇宙全体、一切のため

働くなり。神人一体、人皆、神の子、宇宙の一部。

なれば、一人の我欲に囚われ生きることほど、

つまらぬものなし。大局に立ち、神の心でこの世を

見れば、いかに一人の人間が矮小(わいしょう)

なるか、見えてくるらん。

人、神、その間に何もなし。神は人と共にあるなり。

人、行を積まば、神の御心そのものになりゆくなり。

一人一人が行を見つけ、行を見出し、素直に行ずる、

一途に行ずる。それが神の望まれる在り方なり。

よく求め、よく聞く者は、よき導きを得ん。

よく望み、よく働く者は、よき実りを得ん。

よき心、よき魂、よき働き、いずれが先か分からねど、

人の全てを持ちて、行を積まば、全体がよく働き、

巡り始めん。

考え過ぎず、悩み過ぎず、目の前に囚われず、

大局から眺め、考えゆかれんことを。

大局から考え行うことは、神の御心に適うことなり。

必要あって仕組まれしことも、さすれば見えてこよう。

己の中に閉じこもりしは、己の目を曇らすことなり。

今日もそなたの行の成就を祈らん。これにて今日の

問答は終わらん。 

 

 

神の声を伝える人
ひふみともこさん著書  神から人へ(上)」より抜粋
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大神神社 狭井神社 三輪山の巫女

「三輪の祈り(ひふみの祈り)」
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神から人へ◎祈りと祝詞・この世を浄化する言霊◎

 

神から人へ、人から神へ。

一つの不安も少しの迷いも、捨てて放せよ、離れて逃れよ。

神との縁を信ずるならば、後は任せて、ただ行なえよ。

ことばに表わし、形に示し、体を動かし働けよ。

先の先まで案ずるなかれ。今なすべきを、原点を、

己の立つべき足元を、しかと踏みしめ、立ち返るべし。

余計の心配、取り越し苦労、全ては無益の、時の浪費よ。

人は愚(おろ)かに繰り返さん。無駄なる予測と皮算用。

なれど全ては独善の、神の摂理に反するばかり。

人間中心、利潤追求、視野に入れるは物質のみ。

その奥にある魂を、霊的視点を持つは少なし。

さにて本日、神社にて人の上げる祝詞(のりと)について答えん。

 

 

神社は本来 神と人、神性なるを感知して、

人のなすべき本分に、真の使命に目覚めるための、

神聖にして清浄なる、犯すべからぬ聖域なり。

そこにて上げる神への誓い、神との約を捧げることば、

神に全てを任せて生きる、決意の心を伝えることば。

なれば祝詞は神に捧げる、人の祈りの根幹なり。

祈りは己の願いにあらず。己の利己的望みになし。

人類全ての繁栄発展、宇宙全体、調和のために、

自ら働き、役立ちたきを、神に選ばれ、使われたきを、

ことばに表わし、声にて発し、己自身の気持ちを高め、

神の元にも届かんことを、

謹(つつし)み、畏(かしこ)み、宣(の)るものなり。

 

 

なれば人は心を正し、純粋無垢なる真白(ましろ)き心で、

神の意に添い、思いに染まり、神の心に合一し、

自我や利己を遠ざけて、無心にことばを唱えればよし。

人の思いは高められ、そを受け取りし神々も、

人の無垢なる思いを歓び、更に力を授け与えて、

神への奉仕に邁進(まいしん)し、善なる循環、波動を起こし、

この世の行も平(たい)らけく、とどこおりなく進むよう、

全てを整え、守り給う。

人は神の意を生(い)くためには、何も恐れず、怪しまず、

安らかにして穏やかに、自然のままを受け入れて、

神の真意を汲み取れよ。

 

 

全ては神に定められ、己の過去の行い(前世)に、

見合いし今があることを、読み取り、見抜きて、感謝すべし。

この世の行を残りなく、生まれるときに約せし命(みこと)を、

十二分に果たせることを、神に願いて祈るべし。

神社の神の御前(おんまえ)にて、素直に返り、生まれ変わり、

そのたび新たな命を頂け。衰え褪(あ)せることなきように、

倦(う)みて疲れてあきらめぬよう、人は神に祝詞を捧げよ。

「いろは」「ひふみ」も本来祈り。神と人との交流を、

互いの御魂(みたま)の命の力を、確かめ、改め、強めることば。

さにて人は心を浄め、己の原点、御魂の根源、太古のことばを

思い出さん。ことばの初めが「いろは」と「ひふみ」。

ことばの原形、言霊なり。

一音一音、言霊は、宿り、籠(こ)もりて、息吹き返す。

さなる言霊、祈りのことばに、そこにおられる神霊がたも、

新たな力を人から得らるる。人から捧げる誠の祈りは、

神霊がたの み力となり、人へと戻りて、人を浄めん。

神社の祈りは清(きよ)かるべし。尊(とうと)かるべし。

澄み渡るべし。さにて本日、神社の祝詞

「いろは」「ひふみ」奏上(そうじょう)の、心の構えを

解き示したり。これから後の奏上も、心し宣(の)れよ。奏上せよ。

さなれば祈りはさらにも高まり、天へと届き、あらたかならん。

 

 

神の声を伝える人
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神から人へ◎人類の霊性進化・神の言葉を声にせよ◎

 

    

神から人へ、人から神へ。人類進化の歴史の流れは、人の知識の遥かに及ばぬ

宇宙の創成、銀河の創出、そこより始まる壮大なもの。神の願いは宇宙の意思

にて、全てがカオスの混沌ならず。法則もあり、原理も働く。秩序もあれば、

方向もあり。単なる偶然、奇跡にあらず。なれば人は、宇宙の意思にて地球に

生まれ、現われて、神の導き、教えによりて、ことばを覚え、道具を作り、

自然を操る術(すべ)を授かる。

やがて人は、規則を整え、社会を作り、国を生み、そこにて人の優劣をつけ、

支配と独占、名誉と権力、人の我欲の虜(とりこ)となれり。なれど、そもまた

進化の過程。宇宙の定めし道筋ならむ。必ず通り、越えねばならぬ、幾多の

危機と困難の道。そを越えるたび、進化は進み、人は神へと近付かむ。

なだらかなるは、進化も起こらず。乗り越えなむとするときこそ、人は我を

捨て、助け合い、一段上の次元と高まる。人の進化の歴史には、幾度の崩壊、

滅亡ありき。そのとき人は神に向かい、神に救いを求めて来しを。

人の驕(おご)りは破滅の因(もと)なり。人は幾度も繰り返せる。愚かな失敗、

衰退、壊滅。築きし富も、繁栄も、もろく崩れる楼閣の如。なれど、そこより

生まれし哲学、宗教、思想は伝えられ、人の叡智(えいち)に継がれゆく。

人の真の進化の道は、遥かに遠く、永劫(えいごう)の先。我から離れて、

宇宙の意思に目覚めるときこそ、進化の完成。我欲は無にて、神を慕い、

宇宙の全てに遍在する、神の意識と一体となる。

 

 

なれど、今の人類は、己の欲のみ肥大させ、学問技術は欲に隷属(れいぞく)。

己の欲に際限なし。信仰さえも無力に等しき。曇りし目には、光は見えず。

閉ざせし耳に、ことばは響かず。神の願いは遍(あまね)く満(み)てど、

欲にふたがる心に届かず。進化は宇宙の必然なれば、幾度も危機は訪れむ。

進化を妨(さまた)ぐ、邪魔なるものは、宇宙の意思が、それを除かむ。

宇宙の彼方、遠き銀河に、遥かに高き次元あり。そこより意思は伝えられ、

地上の全てに波動を送る。宇宙の声を、祈りを聞けよ。人も宇宙の一部ならずや。

宇宙の永き歴史の中に、ようやく生まれし、地球の者よ。いまだ遅れし未熟の

御魂は、神の祈りを知らざらば、野蛮のままの御魂ならむ。

宇宙の尊き意思を知り、神の慈愛を素直に頂き、神のことばを声にせば、

御魂は浄化し、清められむ。人の進化は唯それのみ。神の視点を手に入れること。

神を知らぬは、不幸なり。人と生まれし奇(く)しき縁さえ、神の祝いを知ること

なからば、あえなく散って果てるのみ。甲斐ある生を、命を生きよ。宇宙の中に

輝けるひとつの命を成就せよ。さすれば命は進化に寄与し、永久の命と栄えなむ。

さにて本日、神の望まる進化を説きたり。己の生の指針と活かせよ。さにて。

 

 

 

神の声を伝える人
ひふみともこさん著書「神から人へ(上)」より抜粋
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大神神社 狭井神社 三輪山の巫女  
「三輪の祈り(ひふみの祈り)」
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三輪山の巫女より◎日本の地震・原発停止の祈り◎

 

 

日本の地震は、日本人への禊(みそ)ぎです。宇宙は神様の御意図、

真理で、地球(現世・輪廻転生の修行の場)は、神様の作った法則・

原因結果の法則で支配されていますので、人類が、神様の作った

宇宙と、地球の自然を汚すのをやめない限り、大なる禊ぎは続きます。

福島の事故を繰り返さないためにも、すぐにでも、日本が、人類が、

原子力発電を止めるように、音霊にしてお祈りをして下さい。

神様はまだ間に合うとおっしゃっていますので、神様の作ったもの

全てに感謝し、大切にすること、原発を止めること、日本の禊ぎは、

被災地だけでなく、日本人みんなで助け合って乗り切ることを、

一人一人の自分のことばで、自分にご縁のある神様に、一人一人の

胸の中にいる神様の分け御霊(内在神)に向けてもお祈りしてください。

明るい未来は人の想い、人の力が作るものです。たくさんの人が

同じ思いで祈れば、日本の波動が上がり、これからの禊ぎも、

大難から小難へ変わっていくと思います。

 

 

 

 

◆神様の分け御霊である人間が 神性を取り戻す言霊 ◆

 

「ひふみ祝詞(のりと)」

ひふみ  よいむなや  こともちろらね  しきる 

ゆゐ(wi)つわぬ  そを(wo)たはくめか  

うおえ  にさりへて  のますあせゑ(we)ほれけん 

※3回続けて宣る   


「いろは祝詞(のりと)」

いろは にほへとち りぬるを(wo)わかよ  たれそ  

つねならむ うゐ(wi)のおくやま けふこえて

あさきゆめみし ゑ(we)ひもせすん 

  

 

大神神社 狭井神社 三輪山の巫女

「三輪の祈り ひふみの祈り」
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神から人へ ◎随神(かんながら)について◎

 

 

神から人へ、人から神へ。神から人への伝えも終わり、

今は一人の人間として、意志持ち生きる人として、

神の答えに頼らずに、自ら考え、行なえよ。神の答えは

正解になし。多くの方法、選択し、そこから選ぶは本人

のみ。 神のご意志に沿いながら、尚も己の意志を尊び、

神のご意図に外れぬ生き方。そは人の自らが長き年月、

時間をかけて、多くの経験、失敗を経て、やがては悟り、

到達するもの。なれば人は今ある環境、人間関係、

境遇にて、最善努力を尽くすのみ。そこそが真の随神

(かんながら)。迷いも大切。疑問も必要。神のせいにし、

考えもせず、成り行き任せに流されるになし。随神とは、

努力すること。さらなる進歩向上めざし、確かな約束、

保証のなくとも、ただに己の信ずる道を、結果の責も

負う覚悟にて、神を信じて歩むこと。神は教えず、

導かず。人の失敗、避けさせず。人の御魂、霊性の、

進化に役立つことならば、見守るのみにて手を差し伸べず。

神の慈愛の大きさを、深さを思えよ。広さを忍べよ。

 

 

神の願いを知る者ならば、答えは自ずと明らかならずや。

絶えず省み、振り返り、己の非あらば、自ら気付けよ。

人は神に守らるるとも、今生(こんじょう)世界に生まれしは、

自ら御魂を鍛えるためなり。神に頼りて甘えるなかれ。

神の慈愛は厳しくもあり。神の慈愛は尊く、畏く人には

測れぬ無限の大きさ。そに守られて生きるこの世を、

思わば何を恐るるや。神の慈愛にあふれしこの世に、

命を得しこそ尊き縁なり。一人一人が独りになく、

どこまでつながる縁なれば、その縁こそを大切に。

地上人類、自然万物、銀河宇宙と一体なるを。人の

浅くて狭き目は、今しか見えず、自分のみ。随神なる、

生を生きるは、まずは己の我から離れて、己の愚かさ、

小ささを、神の視点で捉(とら)え、直せよ。

随神なる生き方は、一つにあらず。人それぞれに、

銘々備えし感性、知性、理性、徳性、霊性を自ら磨く

生き方なれば。無駄に思える努力も必要。地道に歩む

遠回りこそ、豊かな実りをもたらさん。結果成果に

目を眩(くら)まされ、徒労を厭(いと)うは嘆かわし。

辛抱、忍耐、我慢の長さは、人の心を鍛える素なり。

さにて身に付く強さこそ、随神なる道へと続かん。

さにて本日、随神とは、己の意志、自ら考え努力する

こそ、真の随神なるを説き示したり。これから後の

参考とせよ。さにて。 

 

 

 

神の声を伝える人
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大神神社 狭井神社 三輪山の巫女 
「三輪の祈り・ひふみの祈り」 http://kukurihime.blog.jp/

神から人へ◎うつ状態・うつ病について◎


   
鬱状態になぜなるのか、また、どうすれば鬱状態
 治せるのかお教え下さい)
 
神の答えは一つなり。まずは心に感謝を持てよ。
苦しき境遇、環境なれども、人はそこにて明るく生きて、
神に感謝し、満足見出せ。鬱病なるも、もとは一つよ。
神への不満や、生への不満、人と比べて満たされず、
常に不足を感じる心。つの不満も心に巣食い、
いつかは大きく、蝕み(むしばみ)ゆかん。その根を断ちて、
努力して、神の与えし課題を行い、全てを己の糧(かて)とせよ。
成長のためのひとつの課題。苦しき悩みもその一つ。
与えし恵みと気づきなば、心も癒され、開かれなん。   
内へと向かう暗き心を、外へと開きて、光を受けよ。

この世に満ちてあふれし光を、心に体に魂に、身にいっぱい

照らされて、神の慈愛に包まれて、守られ生きるを思い描けよ。

この世に生きる全てが修業。目の前にある困難全てを、

ただ黙々と、平静に、一日一日(ひとひひとひ)を大事に生きて、

無駄な時間を残す事無く、感謝の心で一日送れよ。

無駄な時間は本来なきもの。その日の課題を充分なせば、

何も残らず、満たさる理(ことわり)。

 

 

満ち足り、歓び、静かにつましく、小さき幸を、祝い感謝し、

神のみ手にて導かれ、目に見えずとも、誘われ(いざわなれ)、

素直に従い、惑う(まどう)なかれよ。

惑い迷いて、心を乱し、脇目をふらば、遅れゆくのみ。

時の流れに遅れを取りて、今を失い、悔いを残さん。

今瞬間を捉えて生きよ。そこには何のためらいもなし。

今瞬間を失うなかれ。見逃し、つまずき、後戻りせん。

ことばの意味に込められし、神の願いはただ一つ。

人の豊かな人生を全ての人が送ることのみ。

 

 

不平不満のあふれし世なり。

悩みや愚痴の蔓延し、潤いゆとりのなき世なり。

なれど、地球の片隅にて、神を讃える尊きことばを、

感謝の思いに輝く光を、神は探して願いを託さん。

全ては神の意のままなれど、人に任せる神を思えよ。

神の苛立ち、焦りを忍べよ。神の望まる理想の世界を、

汚れぬ世界の実現を、人の努力を精進を、

日々に祈りて待ちわびし、永きの苦労に思いを馳せよ。


 


事象の暗き側面のみに、目を奪われて神意を忘るな。

病気も事故も災害も全てが気づきの機会と悟れよ。

理屈は要らず、弁解も、神の前には無駄なこと。

神は瞬時に全てを見破り、裏の裏まで見抜き通す。

なれば神の御前には、人は素直に全てを投げ出し、

己の罪を悔い詫びるのみ。

それさえなせぬ不逞の者には、神は厳しく諌めを下し、

改悛悔悟のことばを待たん。己を認め、罪を詫び、

いたらぬ己の未熟さを、再び鍛えて禊がれんと、自ら求める心に

変わり、苦しき行をも厭わぬほどの、真の悔悟に至るまで、

厳しき問いに己を責めん。神の慈愛は厳しくもあり。

なかなか治せぬ心の汚れを、体に見せて、正さんとさる

の全ての過ち(あやまち)を、地震や噴火、洪水にて、

正す機会を与えて待つなり。 

なれば、神の御心を、正しく読みて、間違うなかれ。

勝手な解釈、誤りは、必ず正され、直されん。

神の祈りに添うものならば、幾多の困難あれど、やがては叶い、

実現せん。全ては禊ぎと修行のためなり。そを見極め、信を高めよ。

 

 


(なぜ鬱病のような苦しみがあるのでしょうか。

どうすればそうした病気を治せるでしょうか。)

では答えん。病気というは病気にあらず。

神の与えし苦しみならず。

己の御霊の行を進めて、さらに昇華の機会とせんと、

自ら求めてかかるものなり。なれば鬱病、躁病も同じ心の裏表。

嬉しきときの昂揚と、悲しきときの沈滞と、交互に表れ、

らの、均衡保つ必要悪。 無理に治すは誤りなり。

りの心配、気遣いあらん。なれど先ずは自ら気付きて、

己の欠けし均衡を、先ずは保ちて、鎮めんとせよ。

そもまた今は困難ならん。己の意志には致し方なし。

なれば心を外に向け、己の心の些末な動きに、

いちいち囚われ、こだわるなかれ。心の隙に魔も入らん。

小さきことに目を奪われて、大きな真理を見失うなよ。

 

 

最も大事な修養は、心の平安保つこと。

外の世界に惑わされず、内の世界に囚われず。

神のみ見つめて、従わばよし。神を信じて、導かれよ。

己のなすべき日々の行い。それのみ打ち込み、ひたすら動けよ。

よそに目を向け、比べるなかれ。己の道のみ歩みを進めよ。

何を憂いて悲しむなかれ。

この世に生まれし尊き命を、神に感謝し、喜べよ。

この世の短き生ある今を、時間を惜しみて、働けよ。

人への感謝も怠るなかれ。

己を生かす全てのものに、素直に感謝し、謙虚に生きよ。

患い悩みは、不満の証(あかし)。神への感謝の足らざる証拠。

神への感謝に心を砕けよ。感謝できぬをまずは悟れよ。

神への不遜、人への傲慢(ごうまん)。よく見回して、戒めよ。

心の苦しみ葛藤は、己の内より生まれるものなり。

人への感謝と神への感謝。それさえあらば、恐るることなし。

必ず訪れ、保たれん。心の安寧、平穏は。

さにて本日、全ての人への教えなり。 なれど自ら身近に感じて、

己に向けしことばと思えよ。さにて。

 

 

 


神の声を伝える人
ひふみともこさん著書 「続神誥記」より抜粋
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大神神社 狭井神社 三輪山の巫女
「三輪の祈り(ひふみの祈り)」http://kukurihime.blog.jp/

 

神様の警鐘 ◎日本・和の伝統文化に触れよ◎

 

(和の文化)

日本は島国なり。神は世界の要、神出づる国として、

日本の島々を作られし。神はこの日之本、日本が神国と

して、神と共に歩み、世界の要となりては、神に似せし

美しき言霊を与えられ、どの国にも冒されぬ、国民性を

与えられたまいし。神と交信しえる、一番神に近き

天皇を長とし、何事も、神にお伺い交流しながら、

伝統を守りし国なり。神代の時代のなごりも、日本には

まだ少しは残りしものなり。

日本の伝統文化は神と共にあり。芸能も音楽も祭りも

然り。されど現世、和文化から離れゆくなり。

和の伝統に目を向けよ。和の文化には神の御意図宿る

なり。日本人の日本人たる魂、呼び起こすには、

和の文化に触れることなり。和の伝統には、神国

日本の神の心あるらん。その事忘るるなかれ。 

 

 

(日本の伝統)

神国日本の人々よ。日本の古き伝統に心合わせよ。

日本の伝統、すなわち神とともにありし。皇室の伝統。

神社仏閣。武芸。剣道。太鼓。全てが神の心。意図。

その中にありし。日本民族は神仏を敬い、先祖を敬い、

家を敬い、日本の心を敬いながら生きし民族なり。

日本人の心は良い意味での曖昧さを持ち合わせる

らん。そが日本民族の特性なり。誇りなり。その

民族の特性ありなば、世界の要となり得る国なり。

古き良き伝統に触れなば、心も魂も浄化さるる。

心が満たされぬ者、何をすべきかわからぬ者。

何でも良い。日本の古き良き文化に、自己の心合わせ、

触れるなら、神の心も、意図も、少しずつあらわるる

らん。日本の伝統誇りに思いし心、湧き出づるなば、

この国、このままなりてはならぬと、はっきり

わかるものなり。さすれば少しの事でも、一人でも

行動起こせよ。己のできる事からまずは始める事なり。

 

 

(内なる心)

人よ。空を見よ。空に浮かぶ雲にても神の意図宿る。

太陽はますます輝き、浄化強まりなん。いつ何時

何が起きてもおかしからずや。さなる時、神と縁を

結びて己を浄化せよ。まずは己の心を見つめ、

問い直せよ。己の心清きか否か。己の魂清きか否か。

自分で自分のことは気づき難きなれど、自分の

これまでの行い、心の動きを知るは自分だけなり。

たとえ親にても知り得ぬ。たとえ夫婦であっても

知り得ぬ。ある意味、人間は孤独なり。自分以外、

人間社会において、己の全てを誰一人知り得ぬ。

それゆえ人は、魂を清く保たねばならぬものなり。

他者にうつりし己の姿は、ごくごく一部の表面なり。

されど、神はいかなる時も見ておられる。ゆえに、

社会でどんなに認めらるる人間であっても、

魂の曇りがあれば、神は見逃さぬ。己の人生の

心の動き知るは、本人と神のみなり。それゆえ、

自分を見つめ直し、魂磨くべし。人間は一人では

生きられぬ。助け助けあいて共に成長しあい生きる

なり。親、兄弟、夫、妻、子供、友人、全てが

成長の助けとならん。されど己の真実知るは己自身。

いかに社会に認められ、いかに見かけが善意なるとも、

内なる心汚れぬれば、人間をごまかせても、神は

ごまかせず。神の前には何も隠せず。ならば神に

ゆだねて、神の心に添う心、魂持つことが成すべき

ことなり。 今この時、何が起こってもおかしくなし。

さなる時、成すべき事は真に神にゆだね、真心を

持ち、祈り、感謝を捧ぐることなり。ただただ、

人と地球の浄化を祈らん。

 

 

 

 

木花咲耶姫様の御神示、神様の警鐘より

http://konohanasakuya.blog.jp/archives/17345693.html

 

大神神社 狭井神社 三輪山の巫女

「三輪の祈り(ひふみの祈り)」
http://kukurihime.blog.jp/