「真理の御霊」

最後の審判(次元上昇)を超えるために1999年からひふみともこさんに下ろされている神示をお伝えします

神から人へ ◎信仰と「いろは」について◎

 

 

(信仰と「いろは」について)

まず宗教について。信仰、宗教、幾多の教え、幾多の祈りのことばあり。

なれど、いずれも神を讃(たた)え、崇(あが)めることが、元の始まり。

なれば、今多くの宗教団体、教団の類は過(あやま)ち犯せるものばかり。

なぜなら多くは規則のみ、戒律のみの先行し、神の教えを、願いを人に、

伝え残すは少なければ。

神の願いを枉(ま)げて伝えて、人の誤解や曲解を、許す余地なき明快な、

教えは既に廃れて残らず。その都度神は人を下ろして、人の間に真実を、

真理を広め残すため、幾度も過ち正してこられし。なれど未だに変わらざるは、

宗教、信仰、人の集まり、人の上下が生まれて後は、真の教えを行うことより、

まずは安定、拡大維持を、人の数にて宗教権力、比べて誇るも神の意ならず。

神には人は全て等しく、独りにても、集まりにても、神を思いて交信せんと、

祈りの高きことを重んじ、金銭物の奉納好まず、ただに望むは、日々の霊業。

一人一人が霊業を、己の業のみ重んじて、倦(う)まず弛(たゆ)まず努力せば、

この世に 法律警察要らぬ、真の清らな世界ならんを。

今の汚(けが)れも、仮の姿の、一時限りの世界にあれば、神はあせらず待ちて

おらるる。なれど、信仰持つと信ずる者の、 多くは独善、自己中心。

意固地にこだわり、人に譲らず、自分世界の中心で、唯我独尊、我(われ)尊し。

素直に感謝し、神にゆだねる真の帰依は芽生えず、育たず。頑固に固陋(ころう)な

迷妄を、拓くは難し、骨折りなるを。

 

 

次には「いろは」についてのことなり。いろはというは、神のみ名。

祈りを顕(あらわ)す一つ一つの、言霊顕す根本なるを。むやみに謳(うた)うな、

祈るな人よ。神聖、厳正、厳粛に、一音一音心を込めよ。

神の祈りを顕すなれば、ことばは意味を命に変えて、力となりて宇宙を創れり。

いろはの命は神の命。粗末にするなよ、汚すなよ。

さにて信仰、いろはの関係。そは昔より、古代より、神の始めの創りし神々。

ス神のまわりに神々が、囲みて守る形を顕す。神々全てに異なる力、働きあらば、

全てを讃え、祭るが大事な神事なり。臆せず祭れよ、斎(いつ)き捧げよ。

一人一人の神々様を、讃える歌がいろはうた。文字の並びに音霊も、宿りて働き、

力とならん。神の祈りの四十八(よとや)の音の、命顕す神々を、讃える歌が

いろはうた。清き音にて、汚さぬように、唱えて顕せ、 神の願いを。

 

 

 

神の声を伝える人
ひふみともこさん著書  「続神誥記」より抜粋
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