「真理の御霊」

最後の審判(次元上昇)を超えるために1999年からひふみともこさんに下ろされている神示をお伝えします

神から人へ ◎親子・この世の学びについて◎



神から人へ、人から神へ。

親子も、夫婦も、兄弟も、全ては地上の修行のために、

互いの魂磨き合うため、この世に出会い、結ばれて、

互いの欠けたるところを補(おぎな)い、互いのよさを讃え合い、

互いを信じ、敬(うやま)い合い、共に助け、慈(いつく)しみ合い、

さにて人はようやくに、人の尊き資質を養(やしな)う。

なれば人は、人たるために、独り生きて死ぬになく、

出会い、結ばれ、相手のために、我が身を捧げ、犠牲にすとも、

相手の幸を栄を祈り、辛きことをも意に介さず、

さらにも喜び、満たされて、悔いも残さず、歓喜のうちに、

死しても後に、感謝に溢(あふ)れる。

さなる尊き高貴の生を、生きるためには家族が必要。

最も身近な縁なればこそ、人は容易に他のために、

身を投げ出すも犠牲となるも、少しの躊躇(ちゅうちょ)も、

ためらいもなく惜しまず命を捨てるを得(う)。人は人の本分を、

家族のための命を通し、学び、身に付け、全うす。

 




親子の愛に理屈なし。無償の愛に理由なし。単なる本能、

遺伝にあらず。人の本来持つ尊厳を、十二分にも発揮させ、

そを伝えるが親子なり。その元なるが夫婦ならむ。

縁にて人は命を頂き、人たる務めを学び、果たして、ようやく

人となりて去る。

親子というも、様々にあり。親子といえども、仇(かたき)のように、

憎み、嫌いて、いがみ合う者。親子といえども、逆さまに、

に教えられ助けられ、子から学びて成長する者。

この世の縁は、仮なれば、あの世に帰らば親子にあらず。

短き現世の縁なれど、切りても切れぬが親子の縁。なれば人は、

親子こそ、宿世(すくせ)の縁と尊ぶべし。

儚(はかな)きこの世の命を終わり、親子の務めを学びて帰らば、

次なる生にはさらにも大きく、大事のみ役を賜(たま)わるべし。

親子の縁を祝うべし。親子となりしを感謝すべし。

二度と巡らぬ縁もあり。なれば、さらにも畏(かしこ)むべし。

 




さにて本日親子の縁、人として生きる基本としての修行の

場なることを説き示したり。親子の死別は悲しきもの。

なれども、そもまた学びの場なれば、死別の意味をも読み取れよ。

さにて。

 




平成19年(2007年)7月25日のお伝え
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