「真理の御霊」

最後の審判(次元上昇)を超えるために1999年からひふみともこさんに下ろされている神示をお伝えします

神から人へ◎富士王朝再建・祝詞の言霊について ◎

 

 

神から人へ。人から神へ。多くの伝えも道も、全ては明日の糧のため。

生きる縁(よすが)の、標(しるべ )の為なり。人間心の迷いの多くも、

一つ一つを照らしてゆけよ。曇も迷いも、止むことなく、次から次に

生じるもの。なれば休まず、止めることなく、新たに明らめ、解いてゆけ。

さにて本日問いはいかに。

 

 

(一つは太古の富士王朝再建のための活動についてです。富士山麓の神社を

巡り、祝詞を奏上することは、本当に王朝の再建を実現することになる

のでしょうか。またそれは神様方のご意図に添うものなのでしょうか。

また、太古の富士王朝の再建と地上天国の実現とは、どのような関係が

あるのでしょうか。もう一つは、祝詞の言霊についてです。一音一音の

組み合わせがもし間違っていたら、神様には届かないのでしょうか)

さても多くの詰まらぬ問いなり。なぜとあらば、それらは全て人間心、

人の心の思い違い。勘違いなる行いなれば。神の世界に近づくためには、

神社巡りも参拝も、祝詞(のりと)も要らぬ。不要のことなり。

真(まこと)の神の世界とは、呪文や儀式、生贄(いけにえ)も、全て望まぬ

無用の無駄なり。

真の神の世界とは、単純に、心の奥にて結ばれて、一人一人の心の宮に、

神の社(やしろ)を立てればよからん。そが全てなり。神意なり。

物にて建てらる神社には、人間の、欲にて生まれる霊気のみ。人の心に

迷いのあらば、自ずと過(あやま)ち導かれ、迷いの迷路に踏み込む素なり。

神社に参拝参詣するも、欲得ばかりの亡者が多し。そを利用する霊気に

使われかえりて不浄を身に付けるばかり。神社に祝詞を奏上すとも、

何も変わらぬ、始まらぬ。

 

 

地上天国実現は、さなる無為の努力になく、真摯(しんし)に謙虚に生きる

ことのみ。それのみ神に通じる生き方、神の心に適(かな)う生なり。

なれば祝詞の一音も、肝心要(かなめ)は心なり。唱える祈りに欲のなく、

ただ純粋に、無心無欲に。そのみが神に届く、神聖無垢なる祈りならん。

早くに目覚めよ、悟れとは、心の迷いなり。心の向上、浄化のなくば、

いくら正しき祈りのことばも、単なる無意味の音のつながり。空(くう)にて

消える空(むな)しき音のみ。

早くに気づき、進めるべきは、今、現実の己の生き方。他人の幸せ、

昇華(しょうげ)を祈り、地球の再生、環境保護と、自然の命の恵みを守り、

神の与えし全てに感謝して、神の祈りに応えることのみ。

神の祈りは、誠の望みは、人の心の向上と、魂、霊の波動の高まり。

さても単純明快ならずや。神の世界の実現は、神の仕組みし力によらず、

神の働き、神力ならず。全ては人の努力あるのみ。  

 

 

神の仕組み(最後の審判)は、地球次元と宇宙次元の向上(霊性進化)なり。

その時全ては同時に進化し、発展成長、昇華せん。

神の世界の進化も進み、次には現界、人間界の遅れし進化を待つのみなり。

神の世界と人間界と、宇宙全体余すことなく、全てがあまねく進歩するべし。

遅れるものは滅ぶのみ。散霧消し、無とならん。宇宙の再生、新生のため、

甦ることもあらばこそ、もとの魂、霊魂は、完全消滅、復活せず。

伝えし教えを守り、日々実行し、つまらぬ迷いに惑わされず、己の道を

見失わず、ただ地道に歩むことのみ。それ以上になく、それ以下もなし。

平穏無事なる無風の日々を、神の恵みと喜ぶべし。 

 

 

 

神の声を伝える人
ひふみともこさん著書  「続神誥記」より抜粋
ひふみともこさんHP
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