「真理の御霊」

最後の審判(次元上昇)を超えるために1999年からひふみともこさんに下ろされている神示をお伝えします

神から人へ ◎不思議な船との遭遇の意味◎

 

神から人へ、人から神へ。多くのこの世の現実、現象、全てに意味あり、

偶然はなし。人はそこより意味を汲み、神のご意図を、宇宙の意思を、

見えない力を 読み取るべし。さにて本日、そなたの問いは。

 

 

(富岡興永宮司様が、以前八丈島に行かれた時、船体に「オセアニアン・

グレイシス」と書かれた船が沖で二、三日停泊していたそうです。

煙突もなく、また地元でそのような船は見たことがない、また人影も

無かったそうです。この船との遭遇にはどのような意味があるのでしょうか)

さにても小さな出来事なれど、人は己の思い込み、己の心の持ち方にて、

大切なことをば見落として、無駄な事には気をかけるもの。この世の出来事

一つ一つ、全てに意味なきものはなし。なれど全てに神の意図、天の意向が

働くになし。人間界の行い、営み、それらに人の意思も混ざりて、

現実界にて現われるとき、始めの意図は大きく変わりぬ。なればこの世の

現象全てを、そのまま神の意図として、そこから意味を読み取るは、

人の知能を超えしことなり。人は己の関心、興味、そに縛られて逃れ得ぬ。

純なる無垢の心にあらねば、全てを均等、公平に、見通す力は持ち得ぬもの。

気にする心に囚われず、しばしの時を経た後に、その持つ意味を考えるべし。

そのとき見えぬ、何らかの意味、わからぬことも、見えてこむ。

真に意味あることならば、必ず一度や二度になく、神は必ず、意味を伝えむ。

伝わるまでに、幾度(いくたび)も、形を変えて、時を変え、場所を変えても、

伝えぬはなし。心に疑問や不信の念が、広がる心を納めるべし。

 

 

心の波を平らかに、鎮めて浄化し、穏やかなれ。心は静朗、雲ひとつなく、

心は平らに、波 静かなれ。人は心の曇りに囚われ、波の形に拘(こだわ)りて、

自(みずか)ら鎮める術(すべ)を持たざる。波の形は刻一刻と、変わりて留まる

ことはなし。波の形の一つ一つ、そこに意味を求めるになく、元なる海に、

意識を向けよ。波は瞬時に移りてゆけど、海は変わらず、命を育(はぐく)む。

全ての事象は波の如(ごと)。人の一生、人生も、立ちては消える波の如。

人は海を見ることなく、波に囚われ、日を送る。気づきしときには、己の生も、

海に帰りて、抱(いだ)かれむ。この世に起こる事象の奥の、元なる意味を、

見出せよ。人はそれぞれこの世に生まれ、海に気づかず、果てるが多し。

短きこの世の束(つか)の間を、小さきことに拘ることなく、大なる意味を

求めてゆけよ。この世の生は独りにあらず。人類全てが向上すべく、

一人ひとりの霊性を、高めることに、傾注(けいちゅう)すべし。この世で学びし

御魂の知恵は、海に戻りて、尚 消えず。さらなる富を、もたらさむ。一人の

命は短けれども、悠久の中にて、繰り返され、積み重なりて、豊かに富まむ。

無駄なる学びは一つもなし。そもまた生きる糧(かて)なれよ。さにて終わる。

 

 

 

平成21年(2009年)7月16日 不思議な船との遭遇の意味
神の声を伝える人
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