「真理の御霊」

最後の審判(次元上昇)を超えるために1999年からひふみともこさんに下ろされている神示をお伝えします

神から人へ ◎嘘をつくこと・人の弱さについて◎

 

(嘘をつくことは、どんなときにも許されないことでしょうか)

さにあらず。人には常に、隠したきこと、言いたくなきことあらざるや。

人の知らせることのみが、正しき選択、策になし。なれば人は、ときに黙し、

ときに真と異なりて、多少の歪曲、脚色あらん。なれど、常にそを続けなば、

ついには人は信用失いて、己を窮地に追い込み、苦しき境に立つも己よ。

なれば心し、嘘をつくなよ。必要なれば仕方なし、人は真実現実を、直視する者、

わずかなり。多くは己の都合よきよう、己の利になることのみ見聞く。

一つの事実をそれぞれに、己の解釈、注釈入れて、人に語るはその一部のみ。

なれば嘘とは、全てが嘘なり。人には事実は表せぬもの。再現するは、虚像偶像。

一つの事象に光を当てなば、影もあるらん、死角もできん。人の解釈、そも

入らん。あるいは誤解に基づくもあり。なれば、人の話を聞くとき、全てを

信ずはあやまち犯さん。人の噂や、井戸端会議、毒にもならぬ陰口悪口、

そに耳貸すな。惑(まど)わさるるな。そこに真理のいかばかりある。

多くの口を出づるとき、人の汚れをまとわん。人は多くを語るなかれ。

語るは言霊正しく表す、清きことばをのみ語るべし。人の許さる語りとは、

人をいたわる慰めと、心和(なご)ますことばのみ。他は心の汚れを映す、

虚飾に満ちし虚言、妄言。神の祝福受けたくば、神への感謝を祈りに表せ。

いかなるときも神を敬い、神への帰依を忘れるまじ。さなる心の正しき者なら、

ことばも清く、音も涼しからん。

 

 

嘘偽りを咎(とが)むにあらず。人の語るに真実なければ。神の戒(いまし)め、

諌(いさ)めらるるは、人の偽善のことばなり。 己の嘘に気づきもせずに、

己の正義を妄信す。さなる独善、慢心こそは、ときに罪なり。害を及ぼす。

人の多くの忠言は、なかなか神の心に適わず。真摯に人のため思うなら、

徒に優しきことばにあらず、ときに厳しきことばも必要。なれど、そこにも

我の入らば、そは偽善なり。自己満足のみ。神の手伝い望みなば、己の考え、

判断交えず、ただに神にゆだねるべし。神との縁を結ぶのみにて、余計な

いたわり、慰め入るるな。そにて充分、神を助けん。神のお役に立ちぬるべし。

 

 

人の嘘とは、他愛なきもの。己をかばうためならば、他を傷つける意図なくば、

神も許して、見逃さん。なれど、嘘にて人を苦しめ、人の不幸を増すものならば、

神は許さず、禊(みそ)ぎを課されん。嘘とはいずれは暴かるるもの。必ず露見し、

粛清されん。なれば、神は何もせで、自然の摂理に任せ待つのみ。

人の儚き虚偽虚構、神の前にはかげろうの如。鏡の像を見紛(みまが)うことなく、

真の姿を見極めるべし。己の弱さを責めるなよ。人とは全て、脆(もろ)きもの。

弱さも脆さもあるがまま、人の全てを許し賜う、神の慈愛に感謝捧げん。

弱さを責める意味もなし。弱さを補う強さのあらば、何の不足も不便もなからん。

欠けたるものを嘆くより、今あるものを慈(いつく)しむべし。自ら非難し、

指弾(しだん)するより、過ち認め、償う努力を。人への誠の悔いと詫び。

己の弱さを見つめる強さ。そこそが次の一歩とならん。自足し努力を怠ること

こそ、人は恐れて戒むべけれ。さにて本日嘘をつく人の弱さについて教えたり。

向上進歩に務めるべし。さにて。

 

 

 

神の声を伝える人
ひふみともこさん著書 「続神誥記」より抜粋
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