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「真理の御霊」

最後の審判(次元上昇)を超えるために1999年からひふみともこさんに下ろされている神示をお伝えします

神から人へ◎人類救済の仕組みを学び、悟れよ◎

 

 

命とは、神に与えられしものなり。

命に生を与えるものは、神のみ力、お仕組みによる。

生とは現界での状態であり、命とは無限に続く魂のことなり。

それゆえ、命は死と生を繰り返すなるが、命は無限に、

与えられし時から無限に続き、この世に生を持つこともあらば、

死としてあの世に帰ることもある。

一つ一つの命、魂は、せねばならぬみ役が定められており、

命の続く限り、それぞれの勤めとして果たしていかねばならぬ。

生は、人の肉体をもってこの世で行を積むが、

死はこの世での肉体の終わりであり、あの世では霊魂となる。

しかし、貫くものは一つなり。

しかし、その命、魂であっても、終わる時が来る。

それは、神のご意志、ご意図にそぐわず、

神のみ光をもってしても、浄まらず、曇りを消せぬまでに、

その命、魂が汚れしときなり。

そのとき、神は、自らのお仕組みにより、その命を消される。

よく生きて、よく死に、あの世で修行を終えずば、この世でも

あの世でも行は続く。この世で、どのような善行を積もうとも、

それが、神のご意志、ご意図にそぐわずは、し残した業となって

あの世に持ち越される。

 

 

 

神は人を、人類を、神のご意志、ご意図でお作りになられた。

しかし今、この世は、神の求められし地球のあるべき姿ではなく、

人もあるべき姿ではなくなった。

神は、人類、全ての生の存続を望まれる。

神の心を持ち、神のことばを持ちて、自らの存在の意味を知り、

自らのみ役を悟り、自らのみ役を果たさんとする魂を救い、

そして神の国で再生するを、全ての人類に切に望んでおられる。

それは、人を分けるためではなく、人全てが神からの魂、命を、

大切に使い、そしてこの世に神の国を復活させるためなり。

そしてこの世に起きる不幸現象は、全て、神が人に、

自らのみ役を認識させるため与えられる、神からのお伝えなのである。

不幸現象、病苦、事故、災害、その他の現象から、自らのみ役を、

神の御心に適う霊行を、それぞれの行うべき業を、

人に悟らせんとされておる。それ故、神の御心を知るためには、

その不幸現象から、神のご意図を読み取る努力が必要である。

 

 

 

人が賜りし肉体は、永遠の生は与えられぬ。

しかし、魂は、この世の肉体が滅びても、あの世に帰り、

その活動を続ける。魂と命、それは神の御心を映し、

ご意志、ご意図を実現させるために、肉体が与えられる。

しかし、ひとたび肉体を手に入れし魂は、我を持ち始め、

欲望、執着を持ち始めて、神の御心を映さぬものとなる。

なれば、魂の曇りを消し、魂が、再び神の御心を映せるまでに、

魂を浄め、高めねばならぬ。

さなくば、この世は、人の欲望のみが渦巻く地獄ともなるらん。

 

 

 

神は、この世の立替え、建て直しの期限を近き明日に定められし。

そのときまでの短き間に、一人でも多くの魂、生命、肉体が、

この世にいる間に、果たせねばならぬみ役を、十分に果たさねば

ならず、それは、選ばれし幾人かの人が行うのではなく、

人々が集まり、神の手足となりて、互いを助け合って、行わねば

出来ぬことなり。

出会いし者は、早急に神のご意志、ご意図を確認し、己のみ役を

確認し直し、自らの役目を果たしていかねば、間に合わぬ。

止まり、滅びるか、気づきて動くか。それは各々の決めることなり。

或いは、各々が、振り返り、顧みて、いかなる悟りを得るかに

かかろう。それは各々の生き方、この世での行の積み方により、

変わってこよう。

良き生き方、行の積み方をされし者は、悟りも早かろう。

しかし、神の御心に適わぬ行ない多き者、曇り汚れの激しき者は、

いかなるお仕組みにも悟りを得ず、曇りをさらに深め行こう。

 

 

 

最期の時に、人は、最期の悟りを与えられる。しかし、

最期の時では既に遅し。悟りを得ても、肉体は既になく、

魂の消滅と共に、永遠の時の中から消え行くなり。

時は短し。与えられし時は短し。 いかなる努力も、

神の御心に適わぬ努力、自らのみ役を担わぬ努力は、

ただ我欲からなされる行いにて、神は見捨てられよう。

そして、魂を消滅させられよう。

 

 

 

神は気付きし魂のみを残し、集め、新たにそれぞれのみ役を

与えられる。そのとき、残りし魂は、神の御心を素直に映す魂なり。

神のご意志、ご意図に通じる心を備わせられし魂なり。

 一人一人が集まり集いて、神の御心に調和し、一つの生命体の

ように全体を作り、この世を動かして行く時、我は消え、欲もなく、

争いもなくなろう。人が人と比べあい、違いを見つけ、他を憎み、

そねみ、うらやむ。それは我にて、神の御心に遠きものなり。

神の御心に、人の心が通じゆき、一つに和する時、

人は、我なく、欲なく己なく、人との違いも み役の違い、

課せられし行の違いに過ぎぬことを知り、ゆえに争うことなく、

妬み、そねむこともなし。

人が己をなくし、神と心を調和させ、神のご意志がすなわち

自らの意思となる時、それは、この世に神の国を実現させえた

ときなり。その時、人は、神に近く、神の御心に適い、

神の御心を映したこの世を作りえよう。

 

 

 

神はただ、人に幸せ与え、人を平和に暮らさせんために、

今日までの長い歴史、時の流れを費やされた。

歴史、時の流れ、人の営み、万物の盛衰、生命の興亡、

何一つ意味無きものはない。

来たるべき日、神の国がこの世に生まれしとき、人は再び、

その意味を知ろう。そして、そのときこそ、人は人として、

神の子として、神の映された心を持ち、神の御心を見、思い、

悟ることとなろう。 それまでは、人は人としてのみ、

この世を、この世での現象を、見聞き感じることしかできぬ。

しかし、間もなくの日、来たるべき時の訪れる日、

人は己の役割と、神の御心と、他の生命、全ての生命、自然、

物質、地球、それら全てと和する魂を与えられる。

今すぐ神の御心に立ち返り、清い魂を取り戻さねばならぬ。

そして霊行を求め、霊行を積まねばならぬ。霊行を通じてのみ

神の御心を知ることが出来る。

それは、我のない、欲のない、汚れ、曇りとは最も遠き行であり、

神の御心に最も近き行いなればなり。

神は人類救済のため、人類全てを生まれ変わらせるために、

仕組みをもって示されてきた。その仕組みを学び、悟れよ。

 

  

 

 

 

神の声を伝える人
ひふみともこ 著書 「神から人へ(下)」より抜粋 
ひふみともこさんHP

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