「真理の御霊」

最後の審判(次元上昇)を超えるために1999年からひふみともこさんに下ろされている神示をお伝えします

神から人へ ◎信じること・疑うこと・神と信仰◎


 
神から人へ、人から神へ。多くの人の祈りを受けて、御霊は

天に昇りゆかむ。この世に残せし悲しみも、天へ帰りて、

清められむ。さにて本日、信じること、即ち人にとりて、最も

難しきことを教えむ。人はそれぞれ疑いと、信じることの間にて、

常に変わりて揺れ動くもの。なれど危うき選択は、いずれかのみ

に傾くこと。信じるときも疑えよ。己の心を、考えを。全てを信じ、

疑わぬは、即ち慢心、独善の素。己を疑い、見直して、信じる

己の我を戒めよ。疑うことは悪ならず。信じる己に曇りはなきか。

己の心に歪(ゆが)みのあらば、信じる心も、歪みを生じ、いつか、

己の我に囚われむ。信じ切るとは任すにあらず。信じる者には

責もあり。己の心を外より眺め、己の勝手の願望に、己の心が

狂わぬように、常に冷静沈着に、己自身を問い直すべし。  

 

 

神を信じる者は危うし。疑うことをはばかりて、自ら陥る妄信、

狂信。信じることを美徳とし、理性知性を自ら捨てる。独善、

慢心、そを恐るべし。理性、知性を働かせ、常に己を問い直し、

他人のことばに耳を傾け、心の扉を閉ざすなよ。神を信じることは

尊し。なれど、ときには疑えよ。己の心の慢心を。信じるものへの

執着を。疑うことは辛きこと。己を変えるは難しきこと。己の心に

非を認め、そを改むには勇気を要す。なれど真の信仰は、心を閉ざす

ことになし。心の闇には光を当てよ。執着迷妄は、心の牢獄。

自縄自縛の鎖を解きて、心の自由を取り戻せよ。強き信とは柔軟

なること。頑(かたく)ななるは脆(もろ)きもの。変化を恐れ、拒まむと

する。己の正しさ、善なるを、何より信じ、疑わず。信じるものは

神ならず。己の作りし虚像に過ぎず。虚像の崩れることを恐れて、

己の殻に籠(こも)るなかれよ。神のことばも信じるなかれ。信じる

ことは止まるにあらず。常に真理を、神意を問えよ。己の信に

凝(こ)り固まらぬよう、常に心の扉を開き、風を通せよ、光を当て

よ。新しき意味を自ら求めよ。さなりて信は自由を得、常に新たな

命となるべし。さにて本日、信じることとは疑うことの意味を説き

たり。よく読み直し、考えるべし。さにて。

 

 

 

 

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