「真理の御霊」

最後の審判(次元上昇)を超えるために1999年からひふみともこさんに下ろされている神示をお伝えします

神から人へ ◎神の愛を心の目でみるべし◎

 

 

神から人へ、人から神へ。神の慈愛は巡り巡りて、天(あめ)から

大地(つち)へ、大海(わたつみ)へ、自然の織り成す生々流転、

神の恵みと溢れたり。神の慈愛は眼に見えぬ、自然の営み、

生成化育、全てに込められ、秘められたり。神の慈愛は全ての

ものを、豊かに富ませ、潤して、留まることなき時の流れに、

生まれる命も、亡ぶ命も、等しく神の愛を受け、神の願いに

外れるものは、一切なきを伝えたり。神の慈愛を知るは難し。

人はこの世の次元にて、神の慈愛を感じる少なし。

なれど御魂の奥底に、神の願いは刻まれたれば、神は人の

体を使い、心を使いて顕(あら)わしたり。

 

 

神の慈愛は、人を通して、人が人を愛する時に、神も共にて

愛したり。人への愛は、人のみならず。神も人の愛を介して、

神の無限の愛を示さる。人は神の願いを叶える、この世の次元の

具象物。森羅万象、全ての事物に、人は神の愛を知るべし。

隈なく照らす神の光を、人は心の目で見るべし。神はこの世を

愛するために、人を創りて、愛を興(おこ)せり。愛をこの世に

実現するには、この世に生き得(う)る命を要す。自然の中に

生きる全ては、神の慈愛のそのままなり。なれど、無償の利他愛

こそは、神の慈愛をこの世に叶える、最も神に近き愛なり。

無償の愛を施せる、輝く御魂よ地に満ちよ。人は一人を愛せば

よし。一人を愛することのうちに、人は神から愛を受けむ。

人へ与えし利他愛は、神の慈愛の証ならむ。己の内より溢れ

出(い)づ、無限の愛は、神の愛。人は己が愛するになし。

神の慈愛が己の中に、宿りて初めて、愛するなり。

尊き神の慈愛を受ける、清き器を用意せよ。清き器に神の

慈愛は、満たされ、溢れて、潤わさむ。一人ひとりが、器と

なれよ。穢れし器は、清め、磨けよ。清める術(すべ)は

言霊ならむ。

 

 

神の慈愛は光なり。神の慈愛は曇りなく、受ける器の人を

清めて、さらなる高みに昇華を許さむ。この世に命を預かりて、

肉体持ちて生れしは、ただひたすらに、神の慈愛を、この世に

映す、そのためのみ。己の小さき願望、欲望、その実現に心

奪われ、見失いしは、神との約束。神は人を愛するもの。

人は神を求めるもの。人の御魂は神の一部、宇宙の一部を成す

ものなれば、人は御魂の奥底にて、神への回帰を希求せるもの。

人の御魂の根源に、神の慈愛を呼び覚ませよ。人の自然は、

宇宙と一体。人は宇宙に願うもの。宇宙の願いと一体ならむと。

人が愛の心を持つ時、人は神の願いを生きる。人は神に祈る

もの。神の御魂に戻らむと。神の次元に昇らむと。

人の愛は、この世の次元。物質次元の愛なれど、神の慈愛を

実現せしとき、人は尊き導きを得む。神の慈愛に導かれよ。

神の慈愛に身を任せよ。心素直に、しなやかに、疑う心を

先ずは治めよ。さにて。

 

 

 

 

神の声を伝える人
ひふみともこさん著書  「神から人へ(下)」より抜粋
ひふみともこさんHP
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大神神社 狭井神社 三輪の祈り(ひふみの祈り)
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