「真理の御霊」

最後の審判(次元上昇)を超えるために1999年からひふみともこさんに下ろされている神示をお伝えします

神から人へ ◎嘘・偽善・人の弱さについて◎

 

 

(嘘をつくことは、どんなときにも許されないことでしょうか)

さにあらず。人には常に、隠したきこと、言いたくなきことあらざるや。

人の知らせることのみが、正しき選択、策になし。なれば人は、ときに黙し、

ときに真と異なりて、多少の歪曲、脚色あらん。なれど、常にそを続けなば、

ついには人は信用失いて、己を窮地に追い込み、苦しき境に立つも己よ。

なれば心し、嘘をつくなよ。必要なれば仕方なし、人は真実現実を、直視する者、

わずかなり。多くは己の都合よきよう、己の利になることのみ見聞く。

一つの事実をそれぞれに、己の解釈、注釈入れて、人に語るはその一部のみ。

なれば嘘とは、全てが嘘なり。人には事実は表せぬもの。再現するは、虚像偶像。

一つの事象に光を当てなば、影もあるらん、死角もできん。人の解釈、そも

入らん。あるいは誤解に基づくもあり。なれば、人の話を聞くとき、全てを

信ずはあやまち犯さん。人の噂や、井戸端会議、毒にもならぬ陰口悪口、

そに耳貸すな。惑(まど)わさるるな。そこに真理のいかばかりある。

多くの口を出づるとき、人の汚れをまとわん。人は多くを語るなかれ。

語るは言霊正しく表す、清きことばをのみ語るべし。人の許さる語りとは、

人をいたわる慰めと、心和(なご)ますことばのみ。他は心の汚れを映す、

虚飾に満ちし虚言、妄言。神の祝福受けたくば、神への感謝を祈りに表せ。

いかなるときも神を敬い、神への帰依を忘れるまじ。さなる心の正しき者なら、

ことばも清く、音も涼しからん。

 

 

嘘偽りを咎(とが)むにあらず。人の語るに真実なければ。神の戒(いまし)め、

諌(いさ)めらるるは、人の偽善のことばなり。 己の嘘に気づきもせずに、

己の正義を妄信す。さなる独善、慢心こそは、ときに罪なり。害を及ぼす。

人の多くの忠言は、なかなか神の心に適わず。真摯に人のため思うなら、

徒に優しきことばにあらず、ときに厳しきことばも必要。なれど、そこにも

我の入らば、そは偽善なり。自己満足のみ。神の手伝い望みなば、己の考え、

判断交えず、ただに神にゆだねるべし。神との縁を結ぶのみにて、余計な

いたわり、慰め入るるな。そにて充分、神を助けん。神のお役に立ちぬるべし。

 

 

人の嘘とは、他愛なきもの。己をかばうためならば、他を傷つける意図なくば、

神も許して、見逃さん。なれど、嘘にて人を苦しめ、人の不幸を増すものならば、

神は許さず、禊(みそ)ぎを課されん。嘘とはいずれは暴かるるもの。必ず露見し、

粛清されん。なれば、神は何もせで、自然の摂理に任せ待つのみ。

人の儚き虚偽虚構、神の前にはかげろうの如。鏡の像を見紛(みまが)うことなく、

真の姿を見極めるべし。己の弱さを責めるなよ。人とは全て、脆(もろ)きもの。

弱さも脆さもあるがまま、人の全てを許し賜う、神の慈愛に感謝捧げん。

弱さを責める意味もなし。弱さを補う強さのあらば、何の不足も不便もなからん。

欠けたるものを嘆くより、今あるものを慈(いつく)しむべし。自ら非難し、

指弾(しだん)するより、過ち認め、償う努力を。人への誠の悔いと詫び。

己の弱さを見つめる強さ。そこそが次の一歩とならん。自足し努力を怠ること

こそ、人は恐れて戒むべけれ。さにて本日嘘をつく人の弱さについて教えたり。

向上進歩に務めるべし。さにて。

 

 

 

神の声を伝える人
ひふみともこさん著書 「続神誥記」より抜粋
ひふみともこさんHP http://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/

神から人へ◎人類救済の仕組みを学び、悟れよ◎

 

 

命とは、神に与えられしものなり。

命に生を与えるものは、神のみ力、お仕組みによる。

生とは現界での状態であり、命とは無限に続く魂のことなり。

それゆえ、命は死と生を繰り返すなるが、命は無限に、

与えられし時から無限に続き、この世に生を持つこともあらば、

死としてあの世に帰ることもある。

一つ一つの命、魂は、せねばならぬみ役が定められており、

命の続く限り、それぞれの勤めとして果たしていかねばならぬ。

生は、人の肉体をもってこの世で行を積むが、

死はこの世での肉体の終わりであり、あの世では霊魂となる。

しかし、貫くものは一つなり。

しかし、その命、魂であっても、終わる時が来る。

それは、神のご意志、ご意図にそぐわず、

神のみ光をもってしても、浄まらず、曇りを消せぬまでに、

その命、魂が汚れしときなり。

そのとき、神は、自らのお仕組みにより、その命を消される。

よく生きて、よく死に、あの世で修行を終えずば、この世でも

あの世でも行は続く。この世で、どのような善行を積もうとも、

それが、神のご意志、ご意図にそぐわずは、し残した業となって

あの世に持ち越される。

 

 

 

神は人を、人類を、神のご意志、ご意図でお作りになられた。

しかし今、この世は、神の求められし地球のあるべき姿ではなく、

人もあるべき姿ではなくなった。

神は、人類、全ての生の存続を望まれる。

神の心を持ち、神のことばを持ちて、自らの存在の意味を知り、

自らのみ役を悟り、自らのみ役を果たさんとする魂を救い、

そして神の国で再生するを、全ての人類に切に望んでおられる。

それは、人を分けるためではなく、人全てが神からの魂、命を、

大切に使い、そしてこの世に神の国を復活させるためなり。

そしてこの世に起きる不幸現象は、全て、神が人に、

自らのみ役を認識させるため与えられる、神からのお伝えなのである。

不幸現象、病苦、事故、災害、その他の現象から、自らのみ役を、

神の御心に適う霊行を、それぞれの行うべき業を、

人に悟らせんとされておる。それ故、神の御心を知るためには、

その不幸現象から、神のご意図を読み取る努力が必要である。

 

 

 

人が賜りし肉体は、永遠の生は与えられぬ。

しかし、魂は、この世の肉体が滅びても、あの世に帰り、

その活動を続ける。魂と命、それは神の御心を映し、

ご意志、ご意図を実現させるために、肉体が与えられる。

しかし、ひとたび肉体を手に入れし魂は、我を持ち始め、

欲望、執着を持ち始めて、神の御心を映さぬものとなる。

なれば、魂の曇りを消し、魂が、再び神の御心を映せるまでに、

魂を浄め、高めねばならぬ。

さなくば、この世は、人の欲望のみが渦巻く地獄ともなるらん。

 

 

 

神は、この世の立替え、建て直しの期限を近き明日に定められし。

そのときまでの短き間に、一人でも多くの魂、生命、肉体が、

この世にいる間に、果たせねばならぬみ役を、十分に果たさねば

ならず、それは、選ばれし幾人かの人が行うのではなく、

人々が集まり、神の手足となりて、互いを助け合って、行わねば

出来ぬことなり。

出会いし者は、早急に神のご意志、ご意図を確認し、己のみ役を

確認し直し、自らの役目を果たしていかねば、間に合わぬ。

止まり、滅びるか、気づきて動くか。それは各々の決めることなり。

或いは、各々が、振り返り、顧みて、いかなる悟りを得るかに

かかろう。それは各々の生き方、この世での行の積み方により、

変わってこよう。

良き生き方、行の積み方をされし者は、悟りも早かろう。

しかし、神の御心に適わぬ行ない多き者、曇り汚れの激しき者は、

いかなるお仕組みにも悟りを得ず、曇りをさらに深め行こう。

 

 

 

最期の時に、人は、最期の悟りを与えられる。しかし、

最期の時では既に遅し。悟りを得ても、肉体は既になく、

魂の消滅と共に、永遠の時の中から消え行くなり。

時は短し。与えられし時は短し。 いかなる努力も、

神の御心に適わぬ努力、自らのみ役を担わぬ努力は、

ただ我欲からなされる行いにて、神は見捨てられよう。

そして、魂を消滅させられよう。

 

 

 

神は気付きし魂のみを残し、集め、新たにそれぞれのみ役を

与えられる。そのとき、残りし魂は、神の御心を素直に映す魂なり。

神のご意志、ご意図に通じる心を備わせられし魂なり。

 一人一人が集まり集いて、神の御心に調和し、一つの生命体の

ように全体を作り、この世を動かして行く時、我は消え、欲もなく、

争いもなくなろう。人が人と比べあい、違いを見つけ、他を憎み、

そねみ、うらやむ。それは我にて、神の御心に遠きものなり。

神の御心に、人の心が通じゆき、一つに和する時、

人は、我なく、欲なく己なく、人との違いも み役の違い、

課せられし行の違いに過ぎぬことを知り、ゆえに争うことなく、

妬み、そねむこともなし。

人が己をなくし、神と心を調和させ、神のご意志がすなわち

自らの意思となる時、それは、この世に神の国を実現させえた

ときなり。その時、人は、神に近く、神の御心に適い、

神の御心を映したこの世を作りえよう。

 

 

 

神はただ、人に幸せ与え、人を平和に暮らさせんために、

今日までの長い歴史、時の流れを費やされた。

歴史、時の流れ、人の営み、万物の盛衰、生命の興亡、

何一つ意味無きものはない。

来たるべき日、神の国がこの世に生まれしとき、人は再び、

その意味を知ろう。そして、そのときこそ、人は人として、

神の子として、神の映された心を持ち、神の御心を見、思い、

悟ることとなろう。 それまでは、人は人としてのみ、

この世を、この世での現象を、見聞き感じることしかできぬ。

しかし、間もなくの日、来たるべき時の訪れる日、

人は己の役割と、神の御心と、他の生命、全ての生命、自然、

物質、地球、それら全てと和する魂を与えられる。

今すぐ神の御心に立ち返り、清い魂を取り戻さねばならぬ。

そして霊行を求め、霊行を積まねばならぬ。霊行を通じてのみ

神の御心を知ることが出来る。

それは、我のない、欲のない、汚れ、曇りとは最も遠き行であり、

神の御心に最も近き行いなればなり。

神は人類救済のため、人類全てを生まれ変わらせるために、

仕組みをもって示されてきた。その仕組みを学び、悟れよ。

 

  

 

 

 

神の声を伝える人
ひふみともこ 著書 「神から人へ(下)」より抜粋 
ひふみともこさんHP

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神から人へ ◎不平不満・愚かな罪を重ねるな◎

 

神から人へ、人から神へ。今の人類、多くの者の 積み越し穢(けが)れ、

罪科(つみとが)を、人は禊(みそ)ぎて、贖(あがな)いて、神の許しを得ん

ために、現世 命のある意味を、よくわきまえて、身を慎(つつし)むべし。

人は本来 罪深き者。生きる全てが罪の連続、他を傷つけずに生きる

能(あた)わず。なれば人は敬虔(けいけん)に、さらに謙虚に慎み深く、

己の生きてあることを、さらにも感謝し愛(お)しむべし。命のあるを、

許されしこと。生きて、地上の生を楽しみ、自然の恵みを授けられ、

己の命の意味をも知らず、生の根源、そも知らぬまま、不平不満に明け

暮れる、愚かな罪を重ねるものなり。己の罪の深さも気付かず、

人の罪には厳しく対し、そを裁かんと法を定めて、罰を科(か)すさえ

 数多(あまた)あり。なれど人は全てが罪人(つみびと)。

 

 

自然の掟を破る者、心を汚し、貶(おとし)める者、天の法則、そを乱し、

さらに我欲を極(きわ)める者。人はこの世の短き生を、人を愛することの

ため、人を助けることのため、利他の心を育(はぐく)むために、少しも

使うが大切なるを。人の多くはそを忘れ、己の我欲を追求し、人を押しのく

ことに費やす。人を裁くも罪ならん。人は人を裁く能(あた)わず。能うは

ただに許すことのみ。罪は独りの罪ならず。全てが罪の責を負う者。 

この世にあるもの全てが縁なり。宇宙の創世、その始めより、全てはつながる

縁のもの。今ある事象、現象は、分かれて見えるも、全ては同根。独りの

邪悪も、独りの正義も、幻(まぼろし)なるを悟るべし。さなる悟りに目を

啓(ひら)きなば、神の心に近づきて、慈愛の情(なさけ)の胸に湧くべし。

罪への憤怒(ふんぬ)、報復、仇討(あだう)ち、そは迷いなり、迷妄なり。

暗き心の闇なりて、己の傷をも深めるばかり。神の願いを思うべし。

人の心の寛容に、罪の因果を己に見出し、復讐心を乗り越えて、憎悪の

連鎖を断ち切ることを。人の御魂の向上は、人を許すに如(し)くはなし。

辛きを忍び、悔しきを耐え、さにて手に入る、真の昇華(しょうげ)。

厳しきものなり、昇華の道程(みちのり)。なれど必ず神は歓び、人の昇華を

見守りゆかれん。人の命は独りにあらず。神の見守り、導くを、知らずに

生きる命の旅なり。終わりも見えぬ、果て無き道を、飽きることなく、

諦(あきら)めるなく、息長く生き、歩むのみ。人との出会いの全てが学び。

己の欠けるを気付かす機会。出会いし人を敬(うやま)い、畏(かし)こみ、

神のご意図を見出すべし。そもまた人の修行とならん。

さにて本日、人を許すことの尊さ、命の意味を伝えたり。これから後も、

学びて生きよ。学びは一生、終わることなし。さにて。

 

 

 

平成19年(2007年4月15日)のお伝え
ひふみともこさんHP
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神様の警鐘◎異常な世を見渡せよ、世界を見渡せよ◎

 

 

(人災について)

物質文明の罠、人災、いよいよ大きな渦となり襲いかかる。

建築物は老化し、毒のある食材、建築材、塗料、染料、洗剤、

薬品。人に害ある物、数限りなく存在す。新薬にてただ傷に蓋を

するのみにては、免疫力失いて、さらなる病を呼ぶばかりなり。

日本の民はどこまでものんきなり。今の異常な世を見渡せよ。

世界を見渡せよ。人災の恐ろしさ、思い知る前に、身を守る

術(すべ)を考えるがよからん。何度も何度も繰り返し、神は

人災の恐ろしさを伝えるれど、伝えても伝えても、気付かぬは

嘆かわしきなり。 

 


 

(幸と不幸について)

今この時、神の嘆きは深く、人の改心望まるるなれど、神の

願いはなかなかに届かぬものなり。いまだ神の存在認めぬ者、

都合の良き時のみの信仰の者多かりし。 己に災い降りかかるなば、

己の行動、己の思い振り返らず、全てを他者へ責任転嫁為し、

あげくは神を恨み、さらなる悪循環を生ず。我不幸ばかりと嘆き、

責任転嫁を繰り返し、負の感情に満たさるれば、その負の循環は、

いつまでも続くものなり。 我神信じ、祈りても、何も変わらず。

我先祖供養を為しても、何も変わらず。さなる考えにとらわれず、

まずは己の魂の穢れ、歪みを認識すべし。

人の一生短きものなり。なれど、肉体は滅びても魂は残りて

生まれ変わりゆくなれば、生ある内に、魂は美しく磨かねばならぬ。

不幸現象起こるなれば、己が一番不幸なりと考える者多かりし。

試練と不幸は異なれり。苦労は人間を磨き。精神向上させるための

試練なり。人皆々、一生を通じ、それぞれ苦労、試練与えられん。

己一人辛き。己一人苦労ばかりと嘆き、不満だらけの人生なるは、

負がさらなる負を呼びて、福を自ら手放すようなものなり。

幸せの尺度は、人それぞれに異なるなり。命あること、それのみ

有難きと、神、先祖、親に感謝し、他者に感謝し生きる者あれば、

物にも、金銭にも満たされしも、まだ足りぬと、嘆きて生きる者も

あり。なれば、幸と不幸は、自らの発想の転換にて、簡単に入れ替わる

ものなり。これより先は、改革進めらるるなれば、全ては人の魂の

浄化にかかるものなり。他国に起こりし戦争は、他人事になし。

日本の中にても、社会、家族、人間関係の様々なる戦争あり。

 短き人の一生、憎しみ抱きて生きるなかれ。不満のみにて生きる

なかれ。生命を粗末に扱いて、神の嘆きを深めるなかれ。

これより先、いかなる事象起ころうとも、次の世を信じ、決して魂

穢(けが)すなかれ。何事もあきらめるなかれ。神はこの地球と人を

残し、守りたしと節に願わん。なれば人は、負の感情捨て去り、

素直に謙虚になれよ。これ以上、この世の波動乱すなかれ。

 

 



 

木花咲耶姫様の御神示、神様の警鐘より

http://konohanasakuya.blog.jp/archives/17345693.html

神から人へ◎名誉欲と自我・低き想念を正せ◎

 

神から人へ。人から神へ。そなたに教え、語り来し、多くの伝えを伝えて

くれよ。易しく説きし真理正法、多くの御霊(みたま)に聞かせてくれよ。

神の願いは今それのみ。さにて本日、何を問いたし。

 

 

 

(名誉欲は、いけないことでしょうか。人は誰でも、他人から

認められたい、 尊敬されたい、と思うからこそ、努力もできるのでは

ないでしょうか)

さなり。そもまた真実、現実ならん。

なれど多くの誤りは、人の名誉を求むるになく、権利勢力求むるなれば。

人の尊敬、集めたし。人の信頼、勝ち得たし。生きてこの世に成長し、

己の自我の芽生えなば、同時に他人の目も気になり始めん。己と他との

違いを見つけん。他よりも優れしこと表わさん。さなる卑しき願望

なれど、そがなくなりしは、人になし。そも扱い難き願望なれば、

容易に消して、昇華(しょうげ)も難し。

なれどよき方、伸ばしなば、人の努力もそこから生まれん。さらなる

向上、進化の糧(かて)と、よきに転じて精進すべし。なれば無闇に欲求

抑え、人より劣ることを望む、さなるは自然と反するものなり。

人は向上、成長望む。なれど人とは比べるなかれ。人と人との違いなど、

あってもなきが同然のもの。先ずは己の目標見定め、それに向かいて

歩めばよからん。人との差異を比べるなかれ。いずれが優(すぐ)る、

いずれが劣る。さなるくだらぬ競争は、狭き人間尺度のみ。

神の目からは同じもの。神の測るは異なる尺度。人の真の価値を測るは、

神の御心、適(かな)うか否(いな)か。神への感謝の、厚きか 否か。人への

優しさ、深きか否か。それのみ測りて、見守らる。

なれば愚かな浅ましき、比較は慎み、敬虔(けいけん)なれよ。

 

 

 

たとえ人から讃(たた)えらるるとも、おごることなく、謙虚であれよ。

この世の成功、勝利、繁栄。人には価値あるものならん。人の称賛得る

ものならん。なれど心の貧しくば、心の行とはならずして、かえりて

心を汚しゆくのみ。最も重き大罪は、神への感謝を忘れぬること。

己独りの力と過信し、この世に生かさる生の意味を、誤りしまま死を

迎えなん。

人と人との闘いは、低き次元の闘いならん。勝ち負け、くだらぬ争い

なり。いかにこの世で最も強く、偉くなろうと、神には及ばぬ。

まして人とは衰えゆくもの。一夜の栄光、勝利ならずや。神の真の栄誉を

受けよ。永久(とわ)に輝く神のみ光。褪(あ)せぬことなき金色の神の祝福

身にまとえ。神の祝いし清き心を、浄めることのみ、一途に願えよ。

その後ならん、この世の名誉。なれば始めに名誉を願うな。

名誉称賛、尊敬は後から生まれ、付いてくるもの。始めに求むる

さもしさは、かえりて侮蔑(ぶべつ)の素ならん。ただただ謙虚に、勤勉に、

己の定めし目標向かいて精進努力の支えとするべし。権利、名誉を求むる

なかれ。そは目標ならず。昇華も適わず。かえりて汚れを増すもの

なれば。 これから後にも努力せよ。なれど名誉のためならず。全ては

神のためなれよ。

 

 

 

(自我と我は異なるものでしょうか。自我の芽生えとは、否定される

べきなのでしょうか)

さにあらず。自我と我とは異なるものなり。人の生まれて、自我が

芽生え、他と己との区別が始まり、己の存在、他の存在、そを知る

ことは大切なること。人の成長発達の、過程の一つ、証(あかし)ならん。

なれば自我のあることは、本来否定すことにはあらず。なれど自我の

強すぎて、己一人の幸(さち)願い、他の利をねたむは、悪(あ)しき自我

なり。自我の正しき成長は、人も己も大切にして、共に栄える幸祈る、

共存共栄の姿なり。なれば人より多くを望まず、人と同じに満足し、

人より持たば人に与え、常に共にあらんと欲す。さなる尊き自我なれば、

なくす必要さらになし。

 

 

 

間違いあやまつ、今の自我よ。他との違いをひけらかし、人より少しの

優れたるを、ことさら協調、強要せん。謙虚の思いは皆無にあれば、

己の誤り、不足認めず。かえりて周囲を非難せん。

己の欠けたる自覚のなければ、少しの進歩も向上もなし。さらに堕落

世間を恨み、努力を嫌い、感謝の一つも抱くことなく、全てが当然、

己中心。やがては嫌われ、うとまれて、生まれしことさえ、呪う

傲慢(ごうまん)。神も見離す魂なれど、人のぬくもり、ことばの癒し、

ときには救いて、心に響かん。神のあること、生の意味、素直に謙虚に

悟りなば、我もなくなりて、昇華せん。自我の正き導きにより、

悪しき我取れて、再生せん。なれば自我も成長し、人の救いと繁栄

こそが、己も救わる道と悟らん。未熟な自我は害悪なれど、正き成長

成熟により、いずれは他をも導く自我なれ。

 

 

 

今のこの世にある者たちに、他をも導き得る魂少なし。いずれも

未熟な我ばかりの、謙遜知らぬ高慢(こうまん)、驕慢(きょうまん)。

いつか地球を滅ぼさん。さなる心のおごり、高ぶり。心の素直さ、

謙虚さと、感謝のなくば、人の価値なし。神の恵みを忘れなば、

いつか自然を破壊し尽くし、住める地球を自ら壊さん。

危機なることを、緊急なるを、警鐘(けいしょう)鳴らせよ。呼びかけよ。

愚かに慢心、惰眠にふける、腐りし自我なら要もなし。残せる者のみ

残らばよからん。気付きて手伝う魂(たま)のみ残し、次なる世をも

立て直さん。なれど最期の機会を許せし、神の寛容、慈愛の深さよ。

最期の日、急げといえども人には分からず。迫れる壊滅、崩壊の時。

人には遠き明日ならん。なれど幕は落とされぬれば、予告を示して、

気付かせんとす。少しの遅れも、迷いもならぬ。ただに一途の献身を。

そのみ告げるこの日頃。馴れし油断を、今 、戒(いまし)めよ。

引き締め、構えて、真のゆとりを。あわてるばかりが急ぐにあらず、

焦る心で行うは、失敗の素、過(あやま)ちの種。

心に余裕のなきときほどに、神の光も教えも忘れ、目先の成果に幻惑

されん。じっくり腰をおちつけて、平常心にて、進めてゆけよ。

正しき自我を育てども、卑しき我執に迷うなよ。迷妄、眩(くら)みて

さらに深めん。己の愚昧、妄執を。  

 

 

 

いずれ気付かん、最期のときに。己の我執に囚われしまま、神から

離れし、罪の重さを。我を取り、放たれ、自由となれよ。さなれば

自我も解き放たれん。己の些末(さまつ)な感情、感覚、そにこだわりて、

沈みゆくなよ。己の低き想念の沼。我に縛られて、溺るなかれよ。

苦しきときこそ思い出せよ。青き天空、神の世界を。溢れし空を

見上げよ。自ら飛翔す己を思えよ。 

 

 

 

 

神の声を伝える人
ひふみともこさん著書  「続神誥記」より抜粋
ひふみともこさんHP
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神から人へ ◎文明・学問・芸術について◎

 

(文明について)

 

文明なるは、人のみが持つことを許されしものなり。文明、

即(すなわ)ち、人をより幸せに導き、思いを高め、神に感謝

するの念を強めるべき、神の御心の現れとなるべきものなり。

文明の成果は全て、人の欲得、利害損得に駆使され、神の心は

跡もなく、消され、忘れられ、捨てられし。それゆえ、今の

文明は、腐れし物のみにて、それを使う者の魂、心、肉体の

ことごとくを蝕(むしば)みゆくものなり。

文明の初め、それは、神の御心にかなう、人の幸せを増す為に、

人が己の能力を精一杯用いて、生み出ししものなり。それゆえ

初め、それが人に不幸をもたらすべくもなく、人はそれをもち、

健康、平和、安楽を得し。そが文明のあるべき姿。神の御心を

備えし、正しきあり方なり。 今の文明、全て、汚れ、汚濁を

生み、この世に害毒、罪悪のみを撒き散らすものなり。神の

心を忘れ、神の心を失い、ただただ己の利益拡大、己の権利

主張と、他への侵略、己のみがよければ、それでよしの心。

それゆえ文明は、今や人を滅ぼすのみものなり。腐れ、汚れし

文明は、いずれこの世を壊滅させ、廃墟をもちて終わりゆかん。

人無き世にて、文明終わらん。

 

 

 

 

文明なれど、神はおわする。神の御心、さても尊く、さても

深し、強き意思と高きご意図。人の残らぬこの世にも、神は

再び再生を図らる。この世に残る文明、人類、自然、地球、

そをもちて、新しき世を、もう一度創らる。文明に、神の心を

取り戻さん。そが始めなり。そが立替え建て直しの始めならん。

さなくば、神は神のご意思により、文明なるを終わらせん。

人類なるを終わらせん。全てを素に、初めの零(ぜろ)から

始められん。全ては無から始められん。全ては空(くう)から

創られん。神仕組み、神経綸。元の初めから、元に戻りて

始められん。それゆえ人よ。神の仕組みに外(はず)れぬ物を、

神の御心にかなう物を、作り、使い、生み出せよ。物に使われ、

物に支配さるることのなきこと祈らん。 

 

 

 

 

(学問と芸術について)

 

学問なるは、人の独善、慢心の行の結果なり。神を忘れて、

己の力に原因結果を求め、己の力と妄信するが、学問の真髄、

真の姿よ。なれば、愚かな者たちは、己の力に可能を求め、

全てを行い現さんとする。なれど始めの出発から、学問始まる

あやまちありき。この世の現象、事象の全てを、計算、記号、

数学によりて、解きて、規則を見つけんとする。なれど全ては

神の奇跡よ。元の始めの神のご意図を知り得ぬ者に、何が

わからん。神のご意図を読みてこそ後、真実真理は明らかと

なり、全ての事象に神を認めて、人は宇宙の原理に達せん。

人よ、知るなよ、分かるなよ。己の理屈や理論の中の、過ち、

誤り、まずは気づけよ。医学が人を癒せぬは、人知の粋の

集まりなれば、ますます汚れて、神も救えぬ。人の心の誤り

正すは学問ならず、ことば、それのみ。神を信じてことばを

浄めよ。さにて魂清らかならん。神を讃えて心高めよ。

さればことばも美しかるらん。

 

 

 

 

神の心を現すが、音楽、絵画の芸術ならん。神のことばを

現すための、歌あり、詩あり、絵画あり。人の心に映る全ては、

その時清まり高まらん。神の心を直接受けて、文字に、音符に、

物質に、表し伝える、そが芸術。なれど、なかなか人にも

分からぬ、真の芸術、真の価値は。心を高めて、波長を合わせ、

芸の高さに合わせる者のみ、真の価値も伝わらん。心も低く、

波長も低きは、必ずくだらぬ物を選ぶ。単に五感を、肉体を

心地よくする、そは技術。芸術なるは、魂を、浄め高める神の

顕れ。ならば真の芸術を、身近に置くも、霊行なるらん。

霊行行う備えとなれば、心を高める助けとなるらん。 

 

 

 

 

(学問が悪とおっしゃられるのですが、学問がなければ文明も

発達せず、人間はみな、動物と同じような暮らしをしなければ

ならないのではないでしょうか。許される学問とはどのような

ものですか。また物質文明も、どの程度までの発達をお許し

下さるのでしょうか)

 

では答えん。いつにもまして答え難く、高度のことを問うもの

かな。学問全てが悪にはあらず。学問なるにも二つあるらん。

心の成長促すものと、体の成長支えるもの。そは二つとも、

神の喜び、認め許さる学問なるらん。なれどそもまた見分け

難く、人の心を腐らせ汚す、さなる俗悪、偽もあらん。

人の心の成長は、ことばと感謝の想念により、自ずと豊かに

実りを蓄え、次なる世代も潤わさん。なれど心の害となるもの、

そは今の世の、現世のみの、享楽繁栄、そのみを求む。

人への感謝も抱くことなく、ただ物のみに価値を見出す。

金や物質、権利の為に、競い、争い、驕り、高ぶる。人の繁栄、

衰退を、物の有る無し、金銭の多寡、さにて測るを恥とせず。

さなる学問教養は、神の嫌わる学問、人知。なれば神には

無用の長物。かえりて邪魔なり、迷惑の種。

 

 

 

 

神の望まる学問ならば、人の心を成長させ、豊かに広がり、

栄えるばかり。学問なるは、心の発達、情緒安定、豊かな優しさ。

さなる心へ導きゆくものなれば、神の望まる学問とは、ただ

いたずらに、物質のみの、肉体のみの学にはあらず。

自然の運行、摂理に従い、そを顕わして、行いて、神の存在、

あの世を映す、高次の学問、そを求めらる。なれば今の世、

現界にては、まだ難しく、時はまだ来ず。なれど次の世、

来世においては、必ず先人、先駆けたちが、この世を導き、

次元を上げて、残されし魂、引き上げて、物質超えし学問

教えん。なれば今には、学問なるも、次の世にては何の価値

なし。価値あるものは、物質ならず。真の価値は魂ならん。

清き魂、乱れぬことば、神への思いと感謝の心。そに支えられ、

育まれて、発達するが真の学問。なれば今の世、物質のみは、

無闇に発達、進化しぬれど、車の片輪、精神は、忘られ、

捨てられ、省みるなし。なれば、いかにも、物質文明、人の

進化の表れなれど、ただそれのみには不足なり。

物質使う人の心に、魂なくば、物質乱れん。汚れは移りて、

物質狂わし、巡りて、心に汚れを積まん。物質文明、その発達は、

神の望めし文明は、心の汚れを深めるのみの、神への感謝を

失わすのみの、さなる今世の文明ならず。

文明なくば、動物なるか。さにはあらぬぞ、あやまつなかれ。

動物植物、みな恵み。神の慈愛を受けるものたち。なれど、

彼らに欠けしものこそ、ことばならずや、文字ならざるや。

さにて人間、別なる恩恵、神の慈愛を、さらにも受けて、

神のみ役も賜るべきもの。物質なくとも、ことばと文字にて、

人は互いの心を伝え、互いに浄め、高め合い、高次の物質文明

さえも、発達させうる術(すべ)を持ちしを。

 

 

 

 

物質のみが豊かさならず。なれどこの世は、物質世界。物質

あらば、心を安らげ、楽しきことも多くあらん。物質あらば、

悟りも易く、気付くも早く、進みゆかん。さなる物質、文明

ならば、神は喜び、後押しなさらん。なれど、今の世、現界

にては、物質のみの進化繁栄。悟るを遅らせ、防ぐるのみ。

挙げ句にあの世の存在否定し、人の心を惑わす学問。曇らせ、

汚して、さらに深めん。人の心の迷い、疑い。宗教なるも働かず、

かえりて拍車をかけゆくありさま。嘆くも虚しく、儚きことよ。

神の賭けらる最期の希望よ。そが現在なり、この時なり。

神のみ声を知らせんと、最期の機会を人類に、許し、賜り、

待ちてみん。物質、金に、惑わさるるなよ。人の心の平穏こそが、

心の豊かさ、ゆとりならずや。神への素直な感謝と安らぎ。

そを第一に、専一にせよ。さにて神の望まる学問、物質文明、

そもわかりなん。

心を忘れし文明は、いつの時代も許す能(あた)わず。なれど

心と魂の、浄化を助くるものにあらば、いかに発達繁栄すとも、

神は喜び、賀し祝わん。明日にも問えよ、深き問い。さにて

人への示しとされよ。精進努力を、祈りおるなり。

 

 

 

 

 

 

神の声を伝える人
ひふみともこさん著書  「続神誥記」より抜粋
ひふみともこさんHP

http://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/

神から人へ ◎出口信一先生をおしみて◎

 

 

神から人へ、人から神へ。現世の出会いも、別れも、縁も、

全ては神に仕組まれしもの。人はこの世に出会いし人と、

その和を保ちて生き永らえて、さにてこの世の み役を果たす。

尊き出会いは神のみ恵み。己の御魂の向上のため、神に賜る縁

なれば。人は宿世(すくせ)のしがらみを捨て、過去の執念、

執着取りて、現世の生を許さるものなれ、ただひたすらに、

今世の行を、尊み、畏(かしこ)み、行うべけれ。迷い、疑い、

ためらいは、御魂の成長、進化と共に、外(はず)していけよ、

離れゆけ。残さる時の短きを、惜しまば、神への信 一筋に、

捧げるものは御魂のみ。この世の行に、疲れし身には、

神の光が降り注がれむ。やがては御魂は肉体離れ、永久の

浄土に生まれ変わらむ。清き祈りの言霊は、御魂を清め、

地をも清めむ。なれば人は、言霊を、さらにも高めて、

神へと捧げよ。あの世に映れる乱れ狂いは、この世の言葉の

乱れなり。

 

 

亡き人となりぬる人の御魂にも、祝いのことばを奉(たてまつ)らむ。

在りし日 立てし、人の功(いさお)を讃(たた)え、奉(まつ)れよ、

慰めよ。あの世に働くその御魂に、この世のことばの息吹きを

伝えよ。人の思いを言霊に変え、祝詞となさば、届けられむ。

この世とあの世はつながれるもの。境はありてなき如し。いまだ

遅れし地上の進化よ。人の霊性向上のため、往(い)ぬる御魂は

働きており。この世に在りしその時よりも、今や彼岸に休むこと

なし。肉体離れし今際(いまわ)の時より、御魂は真の自由を得、

この世とあの世を行きつ戻りつ、神の使いのみ役に勤(いそ)しむ。

嘆き悲しむ心は無用。今や御魂は天界を、縦横無尽に翔(かけ)り

たまえば。 



 

この世の縁は切れることなし。神との縁を深めゆかば、人との

縁も強まりゆかむ。神にて結ばる縁こそは、人の全ての見えない絆、

全てが宇宙につながるる、一(いつ)なるものの思いの始め。

一(ひと)つなるもの、同じもの。全ては神の み心なれば。

明るき心で見送れよ。御魂は喜び、神の命(みこと)を、勇み、

励みて勢い増さむ。手向(たむ)ける言葉は感謝の言霊。

この世に生の在りし時、共に過ごせし幸いを、稀有なる縁を

言祝(ことほ)げよ。御魂は時空、次元を超えて、地上の平和の

実現のため、今にも増して貢献せむ。現世を生きる者たちは、

祈りの言葉を捧げるべし。御魂のさらなる活躍を、共に後押し、

働かむ。神のご意図を知る者たちは、神の縁にて結ばるる者。

寂しき思いは錯覚なりと、遺(のこ)さる者は、早くに気づけよ。

全ては神の経綸なれば、無駄なるものは一つもなし。一人の

死さえも、尊き意味あり。そを知る機会と気づかれよ。さにて。

 


 

 

平成21年(2009年)10月13日 出口信一先生をおしみて

神の声を伝える人
ひふみともこさんHP
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